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神戸地方裁判所明石支部 昭和46年(ワ)71号 判決

原告

高田恒子

ほか一名

被告

和田保

主文

被告は、

原告高田恒子に対し、金五八万〇、八六七円およびこれに対する昭和四六年一〇月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

原告韓基喆に対し、金四一万八、一一七円およびこれに対する昭和四六年一〇月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

原告らの各その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その一を被告、その余を原告らの各負担とする。

事実

(原告らが求めた裁判)

被告は、

原告高田恒子に対し、金四四〇万一、四五六円および内金四一七万六、四五六円に対する昭和四六年一〇月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

原告韓基喆に対し、金四〇五万〇、二九七円および内金三八二万五、二九七円に対する昭和四六年一〇月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告が求めた裁判)

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

(請求原因等原告らの主張および答弁)

一  昭和四六年四月二七日午後五時一五分ごろ、神戸市垂水区平野町芝崎二六四番地先の国道一七五号線道路において、訴外高田隆文が第二種原動機付自転車を運転して北進中、訴外川崎久克運転の普通貨物自動車(ダンプカー)が国道東脇にある被告の作業場付近から道路に進入したうえ右折して北進しようとし、道路左端付近で右高田の車両の車体右側と右川崎の車両の左前輪とが接触し、高田隆文ははねとばされて道路左脇の電柱に激突し、骨盤骨折および内臓損傷を受け、これらによる外傷性シヨツクおよび出血のため同日午後六時三二分ごろ死亡した。

二  原告高田恒子は右被害者高田隆文の母であり、原告清水一郎は右隆文の父である。したがつてまた原告らは、右隆文の相続人であり、その相続分は各二分の一である。

三  被告は、事故時に川崎が運転していた自動車の保有者であり、これを自己のため運行の用に供していたから、高田隆文および原告らに生じた同人の死亡による損害を賠償する義務がある。

四  高田隆文の死亡による損害の額は次のとおりである。

(一)  逸失利益 金八三〇万〇、五九四円

被害者は事故当時一七歳でその平均余命年数は五三・〇一年であり、就労可能年数は四六年である。また同人は当時育英高等学校商業科三年生であつて、翌年就職する予定であつた。

そこで、日本統計年鑑(昭和四五年版)四〇二頁No.二七六年令階級別給与表の昭和四四年度男子労働者平均賃金表により、満一八歳から六三歳までの平均給与額を順次求め、その年収を算出(ただし賞与等の手当額は計上しない)したうえ、生計費として各年収の五〇パーセントを差引き、その個々にホフマン係数を乗じると、別表Ⅰのとおりとなり、逸失利益の総額として金八三〇万〇、五九四円が求められる。

(二)  葬祭費 金三三万八、四〇九円

原告高田恒子が支出した実費である。

(三)  慰藉料 被害者本人分 金二〇〇万円

原告ら固有分 各金一〇〇万円

被害者は原告らの長男であり、健康で素直な明るい子であつたため、原告らは同人を老後の頼りとしていたのにもかかわらず、本件事故で一瞬にして同人を失つた。その心労は日がたつにつれ深くかつ重くなつてくる。また被告の誠意のない態度はいつそう原告らに精神的苦痛を与える。

したがつて、被害者本人および原告らの各慰藉料の額は右のとおりとするのが相当である。

(四)  追加保険料 金一万二、七五〇円

本件は死亡事故につき、原告高田恒子において自賠責保険料を日動火災海上保険株式会社に代払した額である。

(五)  弁護士費用 各原告につきそれぞれ金四〇万円

このうち各一七万五、〇〇〇円は着手手数料として支払ずみである。

(六)  損益相殺

以上の損害に対し、原告らは日動火災海上保険株式会社から損害賠償として合計五〇〇万円の支払を受けた。これを逸失利益八三〇万〇、五九四円の内に充当する。

損益相殺後の各原告の帰属損害金額は

原告高田恒子

逸失利益の残額の二分の一である一六五万〇、二九七円、葬祭費三三万八、四〇九円、慰藉料二〇〇万円、立替保険料一万二、七五〇円、弁護士費用四〇万円 合計 金四四〇万一、四五六円

原告韓基喆

逸失利益の残額の二分の一である一六五万〇、二九七円、慰藉料二〇〇万円、弁護士費用四〇万円 合計 金四〇五万〇、二九七円

である。

五  よつて、

原告高田恒子は、右当該合計金額とその内未払の弁護士費用二二万五、〇〇〇円を除いた四一七万六、四五六円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年一〇月二七日からの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金

原告韓基喆は、右当該合計金額とその内前同様の二二万五、〇〇〇円を除いた三八二万五、〇〇〇円に対する前同日からの前同様の割合による遅延損害金

の各支払を求める。

六  本件事故発生の原因について、被害者高田隆文自身の過失に関する被告の主張を争う。また、加害者川崎久克は、直進する高田隆文の進路を妨害することなく右折できる予測と判断を誤り、高田車の前で無理な右折をした過失により事故を惹起したもので、

ことに

高田車は国道道路左側部分を直進中であつたこと

川崎は道路外(高田からみて右側)の、材料置場の材料が邪魔になつて高田車の方が見えない物陰から発進したこと

そのあと高田車の接近に気付きながら道路(高田からみて右側部分)に進入し、自分の方が先に右折できるという誤つた先入観にとらわれ、中央線にさしかかつたときに、左方の高田車をちらつと見ただけで右方に目を転じ、進行を続けている高田車との安全を確認することなしに中央線を越し、その進路を妨害して右折に入つたこと

高田車が制限速度をある程度超過したスピードで走行していたとしても、時速一〇〇キロ前後のことであれば川崎においてその高速度を十分に予見し得ること

そして中央線にさしかかつたときに高田車の方を一べつしただけで、川崎としては先頭の高田車が高速で接近して来るのを容易に認識し得たはずであること

そこで速度を上げて右折してしまうか、逆にいつたん停止して高田車を先に行かせるかという、どちらにしても簡単な措置をとることにより、川崎は事故の発生を回避し得たこと

一方高田隆文は、川崎車のごとき進行妨害車がないものと信じある程度高速で進行していたが、川崎車が中央線手前で停止しないことに気付くや、ただちに驚いて急停止の措置をとつていること

しかし、川崎車はそのまま道路の左端近くまで進行し、直角に近い形で高田車の進路を妨害したので、高田とすればハンドル操作によつて川崎車の前面(道路の左端寄り部分)を通り抜ける余地はなかつたこと

の諸点に照らすと、要するに川崎は、高田車の進路である道路の左側部分に入るにさいし、左方確認と一時停止をするという自動車運転者としての初歩的注意義務を怠り、直進車である高田車の進行を妨害して事故を発生させたものであり、簡単な注意と容易な措置で事故発生を回避し得たはずであるから、その過失の程度はきわめて重大である。

(被告の答弁および主張)

一  原告ら主張一の事実については、その日時、場所で高田隆文運転の二輪車両と川崎久克運転の四輪貨物自動車との間で接触事故が発生し、高田隆文がその事故の結果死亡したことを認める。ただし、高田の車両は二輪自動車であり、川崎の車両は小型自動車である。また事故発生の態様として、高田車が直進していたこと、川崎車が東から北へ右折していたことは認める。両車両が接触した部位は、高田車のおそらく右側ステツプと川崎車の左前輪タイヤの部分とである。高田車は接触後進路をやや左に転じ、数メートル離れた道路外の地点のコンクリート製電柱に高田の左半身を打ちつける結果となり、同人はその結果原告主張のごとき傷害を受けて死亡するに至つた。なお、事故時川崎車の速度は約五キロメートル毎時であり、この川崎車に左後方から高田車が接触してきたものである。

二  原告主張三の事実については、被告が右川崎車の保有者であることを認める。

三  原告主張四の事実については、(四)および(六)を除き争う。ただし、被害者高田隆文の年齢は認める。右(六)の自賠責保険から合計五〇〇万円の支払がなされたことは認める。

被害者の逸失利益の算定にさいしては、同人が数分前に警察官に注意されながら制限無視の猛スピードで単車をとばして本件事故を起しているなどげんに生命にかかわりのある危険な行為をしていること、養育費の問題があること、生活費としても二七歳ぐらいまでの独身男子のそれは収入の五〇パーセントでまかなえないこと、収入統計の点でも高等学校商業科出身者ということであれば全産業平均のものではなく比較的低額の卸、小売業の収入統計数字をとることがより妥当かもしれないことなどの諸点を考慮し、もつともひかえめな方式として、たとえば一八歳初任給固定式をとるのが相当と考える。

また、本訴提起の経緯等からして、合計八〇万円といつた高額の弁護士費用を損害の額とすることはとうてい認められない。

四  本件事故の発生については、川崎久克にまつたく過失がなかつたとはいえないが、被害者である高田隆文の過失はより重大であるから、原告主張四の(四)の点を除き、その余のすべての損害について過失相殺(慰藉料額の算定にあたつては被害者の過失斟酌)がなされるべきである。

すなわち、川崎久克は、高田隆文運転の自動車が最高速度を六〇キロメートル毎時に制限された道路の一二〇メートル彼方(南方)にあることを認め、十分時間的余裕があると信じ、時速約五キロメートルで道路上に進入し、間もなく北側に向つて右折せんとして中央線にかかつたときも、なお右高田車が南方六十余メートルの彼方にあることを認め、自車の右折に十分な時間的距離的余裕がありかつ高田車からもこの右折が明瞭に見えるとの判断のもとに右折を続け、その右折をほとんど終えようとした。これに対し高田隆文は、一六歳の女子を後部座席に乗せ同女に自分の腰あたりを抱かせた姿勢で前記制限速度ならびに川崎久克の判断をはるかに越える少なくとも一〇〇キロメートル毎時という猛烈なスピードで、しかも川崎車の動静をこれに二十余メートルぐらいにまで接近するまで注意せずに走行し、危険を感じたのちも自らのあまりのスピードのため適切な衝突回避措置(とくに進路を北向車道の中央寄りから左端にかえるということすら)をとることもできず、二三メートル余のスリツプ痕を残しただけで、自車の右ステツプあたりで川崎車の左前輪タイヤ部を後方から前方へこすりつけるようにして、右折をほとんど終つた川崎車に浅い角度で接触した。

高田隆文から見れば、川崎車の動静は、それが自己の進路を横切る方向に動くうえ、そのスピードも非常に低速であつたから、速度といい動向といいきわめて明確に認め得たはずである。それなのに同人は前記のごとく無茶な運転を続けて本件事故を惹起した。両車両の接触地点は道路の左端から一・七ないし一・八メートル道路の内側に入つているから、高田車がスピードを適度に保ちかつ前方への注意を払つておれば、高田車は進路をわずかに左に向け道路左端寄りにするだけのことで川崎車との接触を容易に避け得たものと推測できる。

これに反し川崎久克は、高田車が自分の方に向つて走つてくるのであるから、その角度の関係上高田車のスピードを適確に把握しにくかつたが、それにしても前記のようないちじるしい制限超過の速度で進行しているものとは考えることができなかつた。いずれにしても、一二〇メートルもの彼方にある車影のために道路へ進入することをさしひかえるようなことは何人にも期待することができない。ただ川崎車がセンターラインにかかつたときに、同人は一応の確認に止めるだけでなく、いま少し入念に高田車を観察してその猛スピードを看破するとともに高田隆文の運転姿勢等を見てその前方注意能力の程度および危険回避能力の程度をおしはかるべきではなかつたかとの問題が残り、この点で川崎久克に過失なしとはいえないに過ぎないのである。

以上の次第であるから、本件事故に対する川崎久克と高田隆文との各過失の程度を比較すれば後者の方がはるかに大といわなければならない。

(証拠)〔略〕

理由

一  昭和四六年四月二七日午後五時一五分ごろ神戸市垂水区平野町芝崎二六四番地先の国道一七五号線道路において、訴外高田隆文運転の二輪の車両(単車。証拠ことに成立に争いのない乙第五号証によれば、原動機の総排気量が〇・三二リツトルであつて、道路運送車両法上の小型自動車、道路交通法上の自動二輪車にあたると認められる)と訴外川崎久克運転の四輪貨物自動車(〔証拠略〕によれば、道路運送車両法上の小型自動車、道路交通法上の普通自動車であると認められる)との間で接触事故が発生し、右高田(当時一七歳)が事故時に受けた傷害により同日死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

また、原告高田恒子が右被害者隆文の母であり、原告韓基喆が右隆文の父であることは、被告において明らかに争わないから自白したものとみなされる。

そして、被告が事故当時川崎久克の運転していた貨物自動車の保有者であることは当事者間に争いがなく、当時これを自己のため運行の用に供していたことも被告において明らかに争わないから自白したものとみなされるので、被告は、高田隆文の死亡により同人および各原告に生じた損害を賠償しなければならない。

二  次に、事故当事者たる被害者高田隆文および川崎久克の双方の過失の有無、その内容と程度について判断する。

事故発生の態様として当事者間に争いがない事実に、〔証拠略〕を総合すれば、事故発生の状況として以下の事実を認めることができる。

事故のあつた国道一七五号線道路は南北に通じる幅約七・九メートルのアスフアルト舗装(事故当時乾燥状態)道路で、道路の左右両端から約〇・九メートルのところに各外側線の表示があるほか、ほぼ中央にあたるところに中央線が設けられており、事故発生地点から南方にかけては直線で見とおしのよいこと

政令で定められた最高速度と異なる最高速度の定めがなかつたから、原動機の総排気量〇・三二リツトルの自動二輪車の最高速度は、大型乗用自動車および普通自動車と同様六〇キロメートル毎時であつたこと

事故当時高田隆文は後部座席に一六歳の女子一名を同乗させて前記単車を運転し、右最高速度を越える時速約一〇〇キロメートルの高速で右道路を北進し、道路の左側部分(中央線と左側外側線との中央ぐらい)を通つて事故現場へ接近していたこと

一方川崎久克は事故発生地点の道路の東側に接する被告方の空地に西向きで駐められていた前記貨物自動車に乗車し、これを運転発進させて道路に進入のうえ、道路内で右折し、道路の左側部分に入つて北進しようとしたこと

そこで同人は右自動車を発進させ、その前部付近を道路に進入させるときにいつたん停止し、停止した状態で道路の右方と左方の交通を確めたところ、右方からの交通はなく、左方からは道路の左(西)側部分を高田車が先頭になつて走行して来るのを一二〇メートルぐらい彼方に望見したが、距離が遠かつたので自分の方が先に無事右折できると判断し、再発進して進路をやや右(北)にとりながら五キロメートル毎時程度の速度で道路内に進入し、道路の右(東)側部分を横断して行つたこと

そして自動車が中央線手前付近にさしかかつたところに同人はもう一度左方を見、高田車が前回よりも接近して来ているのを意識したが、そのときの高田車の位置については、ちらつと見ただけであつたので同人において確信を以て言うことができない。しかし、同人はあとで現場で想起して約六五メートル左方の地点をその位置として指示していること

このように高田車の方をちらつと見たが、同人はまだ距離があると思い、すぐに右方に目を移して道路の左(西)側部分に進入し、ハンドルを右に切りながら前同様程度の速度で右折を続けて行つたこと

高田隆文は川崎車が右のように道路の左側部分に進入して来たのちはじめて危険を感じ進路をわずかに左に切るとともに急制動の措置をとつたが間に合わず、高田車は、約二三メートルのスリツプ痕を路面に残しながらも十分な減速のないまま、川崎車が中央線を越し始めてから二秒余ぐらい経たころに、道路の左側外側線から約〇・九メートル中央線寄りの地点で、その向きをかなり西向きに変えた川崎車の左側前輪タイヤ部に車体右側の突出部をこすりつけるように高速で接触し、そのまま斜め左寄り前方に飛ばされ、途中右接触地点から約六・一メートル斜め左寄り前方の路傍の電柱に激突しながら、同約一五メートル斜め左寄り前方の道路左脇の若干低くなつた地面に転倒して停止したこと

そのさい後部座席に同乗していた女子は右接触地点から約一八メートル斜め左寄り前方の地面に投げ出され、二月余の入院加療を要する傷害を負つただけですんだが、高田隆文はその身体を右電柱に激突させてその場に転落し、原告主張のごとき傷害を負つて死亡するに至つたこと

以上の事実を認めることができ、他にこれに反する認定を相当とするだけの証拠はない。

なお、右に認定した諸要素から判断すると、川崎久克が中央線を越える直前にちらつと見たときの高田車の位置については、同人が指示する約六五メートル左方の地点が誤つているとは考えがたく、仮にこれよりいくらか多い目の距離があつたとしても、そのとき高田車は約一〇〇キロメートル毎時もの高速を出していたのであるから、この状況下で中央線を越して進行することは高田車の進行を妨害することになつて危険が大きい。また、高田車の前記スリツプ痕の北端と接触地点との間には約二・四メートルの空走距離があり、これに右スリツプ痕の長さと乾燥アスフアルト舗装路面の制動距離として一般に言われているところや危険を感じてからスリツプ痕がつくまでの空走距離が速さに比例することを併せ考えると、高田車が仮に法定の最高速度である六〇キロメートル毎時で走行しており、かつ、高田隆文が本件時と同じ地点に達したときに危険を感じて急制動の措置をとつていたとすると、本件の接触地点に至るまでに停止することができ事故の発生に至らなかつたであろうとみることが可能である。

以上の状況によつて考えるに、川崎久克は、自車を発進させ徐行して道路に進入のうえ道路の中央線にさしかからせた限度においては、その行為に問題とすべき点は見当らないが、中央線を越して自車を道路の左(西)側部分に進入させるにさいしては、同部分を左方(南方)から進行して来る直進車の進行を妨害することのないよう、その時点における同部分上の同直進車の有無およびその走行状況をよく確め、もしその進行を妨害するような状況であればいつたん中央線手前で停止のうえ安全を確認し得るまで待機しなければならないのにもかかわらず、この注意を十分つくすことなく、最初に道路に進入するときの高田車の位置が速かつたことに気を許し、安易に右部分上に自車を進入させかつその後の右折進行を続けて左方から直進車である高田車の進行を妨害した点において過失があり、その過失のため本件事故を招来したものとみるのが相当である。すなわち同人は道路に進入するときに高田車が左方から右部分上を走行して来るのを知つたのであるから、そのときに同車両がかなり遠方にあつたことに気を許すことなく、その後の西方への進行過程において同車両の位置の変化等その走行状況を随時観察するなり、あるいは中央線手前にさしかかつたときに一時停止するなどしてもう一度そのときの同車両の位置や速度をよく観察することによつて、その時の同車両の距離と速度からして、そのまま中央線を越えて道路の左(西)側部分に進入のうえ右折進行を続けることは同車両の進行を妨害することになつて危険であることを十分察知し得たはずであり、察知した以上はいつたん待機することによつて容易に事故の発生を防止し得たはずであり、またそうしなければならなかつたのである。

一方高田隆文は、一般交通の用に供せられている本件事故現場付近の国道道路において、法定の最高速度をはるかに越える毎時約一〇〇キロメートルもの高速で単車(高田車)を疾走させ、前方の道路右脇から川崎車が進入し、道路を横断するかのように進行して来るのを望見し得たのにもかかわらず、高速疾走にとらわれてこれに気付かなかつたのかあるいは気付きながらもこれを無視したのか、いずれにしても同車両がそのまま自車の進路である道路左側部分に中央線を越えて進入して来るかもしれないことを予想し適宜減速しなければならないのにその措置をとらず、川崎車の運転者である川崎久克をして安全性の判断を誤らしめる一個の原因を供したばかりか、げんに同車両が中央線を越したのちにおいて、いまさら多少進路を斜めにとりかつ急制動の措置を講じても高速のまま同車両と衝突することが必至である地点に迫るまで前記高速による疾走を続けた点において過失があり、その過失によつて本件事故を招来させたものとみるのが相当であつて、その過失の程度はけつして軽くないというべきである。

このように本件事故の発生については川崎久克と死亡被害者高田隆文の双方に過失があり、同被害者において過失があつたことは被告において賠償すべき額を定めるにあたつて斟酌されることになるが、右双方の過失の割合は、双方の進路関係ことに道路外から道路に進入して右折のうえ進行する川崎車において中央線を越して進行を続けることにより左方からの直進車である高田車の進行を妨害したことその他諸般の状況にかんがみ、川崎久克の場合が六五、高田隆文の場合が三五とするのが相当である。

三  ところで、〔証拠略〕を総合すれば、

原告高田恒子と原告韓基喆は昭和二二年ごろに事実上の結婚をし、それ以来夫婦として同棲生活を続けているが、二人の間には昭和二九年一月八日に高田隆文(本件被害者)が第一子として生まれ、三一年一月一四日には第二子和広が生れ(原告韓基喆において四四年一二月一五日両子を認知)、親子四人で家庭生活を営んできたこと

右高田隆文は事故当時育英高等学校商業科三年に在学中であり、翌四七年春卒業後の進路はまだ決まつていなかつたが、身体は健康のうえ友人にも好かれる明るい子であり、父母である原告らは同人を可愛がるとともにその将来を楽しみにしていたこと 同人の死亡にともない、原告高田恒子においてその費用を負担し、父母である原告らは誠意をもつてその葬儀その他の法要等を営んでいること

が認められる。

以上の諸点に照らして被告が賠償しなければならない損害の額を算出すると以下のとおりである。

(一)  高田隆文に生じた損害

同人は未だ高校三年生として在学中であり、現に収入を得ておらず、また高校卒業後の進路、就職先も未定であつたが、死亡により喪失した将来の得べかりし利益の額の算定方法として原告らが主張するところは、高校を卒業した時点から就職するものと仮定して一八歳以降就労可能とみられる年限までの間の各年齢ごとの男子労働者の平均給与額を統計表によつて求めたうえ、年五分の割合による中間利息を控除してこれを積算するというのであり、各年齢ごとの給与の額としては平均月間きまつて支給される現金給与額のみを計上し、年間賞与その他の特別給与額を省いて控え目にされていること、右給与を得るための労働力再生産費として右計上された給与額の半額を生計費名目で控除していることの諸点に照らし、その方法は是認するに値すると考えられる。

ただし、(1)平均余命の範囲内において就労可能年限をほぼ六三歳に達するまでとし、高卒直後の昭和四七年四月一日(当時一八歳)から六三歳に達した直後の九二年三月末日までの四五年間について計算する(原告主張の六三歳分を省く)のが相当であり、(2)中間利息の控除にさいしてはライプニツツ方式をとるのが相当であり、(3)事故当時から四七年三月末日までの間の生活費として同年四月一日以降の分(原告が一八歳の分として主張しているもの)と同額の金額(ただし一一ケ月分とし、ホフマン方式によつて中間利息を控除する)を差引くのが相当であつて、これらの諸点において原告らの主張の方法を修正する必要がある。

右修正したところによつて計算するに、〔証拠略〕によれば原告主張の統計による昭和四四年における一八歳から六二歳までの間の各年齢ごとの男子労働者の平均給与月額(ただし月間きまつて支給されるものに限る)は原告主張のとおりであることが認められるから、その各金額を一二倍して二分の一を乗じた原告主張の「生計費控除後の年額」に、一八歳分については一年とし以下順次一年ごとを加える期間の中間利息を控除するため年、五分の割合によるライプニツツ計数を乗じると、その各金額は別表Ⅱのとおり(百円未満四捨五入。給与月額の統計数値の有効数字そのものが百円台までであることが明らかであるから、原告ら主張のように十円台以下まで詳しく出すことは無意味である)となり、その合計額は五九九万〇、六〇〇円である。この金額から前記(3)の一一ケ月間の生活費として一七万三、三〇〇円(一八歳分の給与月額の二分の一に一一ケ月に相当する年五分の割合によるホフマン係数を乗じたもの)を差引くと五八一万七、三〇〇円(イ)となり、これが高田隆文の死亡により同人自身に生じた財産上の損害である。

なお、原告ら主張の統計は労働大臣官房労働統計調査部賃金統計課の賃金構造基本統計調査報告を資料として刊行されたものであり(甲第六六号証)、その資料そのものにあたると、男子労働者の平均給与月額は「学歴計」、「小学・新中卒」、「旧中・新高卒」、「旧高専・短大卒」、「旧大、新大卒」に各区分して計上されており、右で採用した数値は「学歴計」の数値であることが明らかである。そこで、高校在学者につき高卒直後に就労するものと仮定して計算するのであるから「学歴計」の数値よりも「旧中・新高卒」の数値を採用する方がより適正ではないかとの疑問が出てくるし、またそうする方が被告の主張する趣旨によりそうのではないかとも考えられるのであるが、右後者の数値を採用して計算したときの方が、低年齢では後者の給与額が前者のよりも少いが高年齢になると後者の給与額が前者のよりも多くなる関係で、前者の数値を採用してした前記の計算結果よりもごくわずかながら金額が増加するので、原告ら主張の統計数値をそのまま採用して計算することにした次第である。

次に原告らの主張するところにしたがい高田隆文自身に生じた精神的損害に対する慰藉料を計上するに、その額は、諸般の事情を考慮し、一五〇万円(ロ)とするのが相当である。

結局高田隆文自身に生じた損害の額は、財産上のものおよび精神上のものを合わせ、前記イおよびロの合計額である七三一万七、三〇〇円であるが、同人自身にも前記のとおり過失があつたので、三五パーセントの過失相殺をするため右金額に百分の六五を乗じると四七五万六、二三五円になり、同人は被告に対しこの額の金員の支払を求め得る賠償請求権を取得した。

この高田隆文に生じた賠償請求権は相続により法定相続分各二分の一の割合で父母である各原告に承継されたから、結局被告は各原告に対し二三七万八、一一七円ずつを支払わなければならない。

(二)  葬祭費用

〔証拠略〕によれば、同原告が高田隆文の葬祭、供養等およびこれに関連した事項につき同人死亡後約一年の間にわたつてかなりの金額を支出していることが認められる。しかしその支出のなかには、事故による死亡と相当の因果関係に立つ損害として認め得るものもあれば、認め得ないものもある。そこで、諸般の事情と社会通念とに照らし、右金額の範囲内でもある金二〇万円をもつて同原告の葬祭費支出にともなう損害の額であると算定する。このうち被告において同原告に賠償しなければならない額は、前記双方の過失の割合を斟酌し、金一三万円とするのが相当である。

(三)  各原告に対する慰藉料

被告において賠償しなければならない各原告の精神的損害の金銭評価額は、諸般の事情ことに死亡した高田隆文自身の損害としてすでに一五〇万円の慰藉料が認められていること、および、双方に前記の程度の過失があつたことを斟酌すると、父母である各原告につきそれぞれ五〇万円とするのが相当である。

(四)  弁護士費用

本判決の認容額その他諸般の事情を考慮するとき、本件死亡事故と相当因果関係に立つ損害の賠償として、被告は、各原告が負担する弁護士費用のうち、原告高田恒子については金六万円、原告韓基喆については金四万円を負担するのが相当である。

四  以上の次第であるから、被告は、

1  原告高田恒子に対しては、四の(一)(二)(三)(四)の合計額三〇六万八、一一七円から

当事者間に争いのない原告主張四の(六)の五〇〇万円の二分の一である二五〇万円と被告において明らかに争わないから自白したものとみなされる原告主張四の(四)の一万二、七五〇円との差額二四八万七、二五〇円を差引いた

金五八万〇、八六七円を

2  原告韓基喆に対しては、四の(一)(三)(四)の合計額二九一万八、一一七円から

前同様の五〇〇万円の二分の一である二五〇万円を差引いた金四一万八、一一七円を

それぞれ支払わなければならない。

原告らの本訴請求は、被告に対し右の当該金員、およびそのそれぞれにつき訴状送達の日の翌日たることを被告において明らかに争わない昭和四六年一〇月二七日から支払ずみまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、その限度でこれを認容する。原告らの各その余の請求は失当であるから棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九二条本文、九三条一項本文を適用したうえ、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言をするだけの必要があるとは認めないから、その宣言はしない。

(裁判官 岡本健)

別表Ⅰ

〈省略〉

別表 Ⅱ

〈省略〉

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